こんにちは
エロ変態おやじの山岡二郎です。
私は、大学は東京の学校に通っていたのですが、学校にはほとんど行かずに毎日アルバイトをして生活費を稼いでいました。
アルバイトは、いろいろな業種、職種でたくさんやったのですが、当時から楽して稼げる効率の良いアルバイトを探していました。
トラックの運転助手(荷物の積み下ろし)、スーパーの売り子、家庭教師は、食事が出たり、友達が増えたり、いろいろなところへ行くので面白かったです。
そんなバイトの中で「便利屋」での仕事が大好きでした。
便利屋の仕事は、最初は仕事のある時だけポケベル(昭和の時代の終わり頃)で呼びだされて、現場へ直行するようなことが多かったです。
掃除とか、片付け、買い物、家事代行、緊急書類を届ける、様々な代行、代理出席などが私の担当でした。
3カ月ほど勤めると、事務所待機、電話番、電話代行、スタッフの連絡調整などを任されるようになって、そこからは便利屋の事務所、待機室で暮らすようになりました。
便利屋バイト先には、お風呂があるのですが、汚くてとても入る気持ちにはなりませんでした。
そこで面白かったのが、お風呂はソープランドへ行くんです。
ソープランドでサービスを受けるのではなくて、「指名代行」と呼ばれていて、ソープランド嬢の指名数を上げるため、指名ノルマを達成するために「指名」してお店へ行くんですね。
ソープランドでバイト
ソープランドへ行くのに、当然、本番なんては無し、サービスも一切ありません。
ソープ嬢は、その時間は寝ていました。体を休めている感じです。
入浴料、サービス料はソープ嬢が支払ってくれます。
その上、当時1時間3000円貰います。私の時給は1200円でしたが・・・
私が、そこでやることはお風呂に入ることだけです。便利屋の事務所ではお風呂は入りにくいので、ここで頭から体を全部洗って、湯船につかって私もさっぱりしていました。
ソープランドの受け付けへ事前に電話で指名を入れて、時間いなったらお店へ行って、待合室でコーヒー飲んで、ソープ嬢が迎えに来たら個室へ行って、
そこからソープ嬢は寝に入ります。
私は、お風呂に1人で入ります。
その後、終わり間際にコーヒーが出て、それを飲んで服を着て、ソープ嬢に見送られてお店を出る。
それだけのお仕事でした。
時間は1~2時間程度でした。
私は、こんなことから学生時代に、特別な経験を通じて、性や人間関係について多くを学びました。
私は、当時貧乏学生でしたし、ストリートナンパをしていましたので、風俗はほとんど使ったことがありませんでした。
ソープランドも、その時初めて足を踏みいれたんですね。
便利屋の仕事では、一人のソープ嬢に対して代行指名をしてお店へ行くのは月に1回か、二回が限度。
若僧が毎週、毎日のようにソープへ行くなんてことはあり得ないのと、代行指名がお店にバレると、ソープ嬢の立場も危ういのでと言うことなのかと思います。
それでも「指名代行」が月末、締め近くになるとたくさん入るので、一日2回とか、3回とかソープランドをはしごすることもありました。
数軒の系列の違うお店へ行っていたので、週に2回~3回くらいはソープランドの代行指名でお風呂に入っていました。
あるソープ嬢からの個人的な依頼を受けて
便利屋の「指名代行」で知り合ったソープ嬢と、何度か会ううちに顔見知りになりました。
当時不思議だったのは、数回あった程度では、ソープ嬢は私の顔も名前も知らない、覚えていない状態が続いていたんですね。
5回目かの「指名代行」でお店へ行った時に、ソープ嬢から
「個人的にお店に来てくれないか。」と声を掛けられたんですね。
簡単に言えば、気に入られたようでした。
私にとっては、その方が便利屋の時給でなく、直接便利屋に支払y金額でがもらえるので、お金が多くなります。
あとは、お土産ももらえるので嬉しかったです。
お土産というのは、例えば、お客さんからもらったプレゼントとかで要らないものをくれたりします。
時には、お店で使うローションをくれたり、お願いしたら脱いだパンストを貰うことができました。
私は、学生時代からパンティ、パンストが好きな変態フェチでしたので嬉しかったです。
それ以降、ソープ嬢からポケベルで呼び出されて、一緒に食事へ行ったり、お酒飲みに行ったり、買い物に出かけることもありました。
洋服を買ってくれることもありました。
お客さんの愚痴とか、いろいとな話を聞くこともありました。
食事へ行ってもいつもご馳走して貰えていましたし、また、おこづかいももらえていましたので、私のバイト経験の中でも最も待遇の良い者でした。
それで、こんな仕事も需要と供給が出来れば成立すると思うようになっていました。
ソープ嬢の看病をすることに
そんな時に、そのソープ嬢が病気になってしまって、都心のマンションの自宅へ看病に行くことになりました。
お店のサポートもあるようでしたが、あえて私に助けを求めてきたのです。
アルバイト、お仕事だと思ってきて欲しいと求めてきました。
彼女は、秋田県出身で東京へは経済的な理由から上京して、ソープで働き始めたそうです。
その時に既に3年が経っていたようでした。
私が20歳の時に、彼女は25歳でした。
私からすると大人の色っぽい女性に感じていました。
当時は、彼氏はいなかったようですが、男性に騙されることが何度もあって、男性不信いなっているようでした。
また、友達もいなかったようでした。
お店の他のソープ嬢ともお付き合いをしないようにしていたようでした。
マンションへ行くと、とても具合が悪そうな彼女がドアを開けてくれました。
フラフラで倒れそうでしたので、彼女を抱きかかけてベッドへ寝かせました。
そこから、合い鍵を預けられて薬を買いに薬局へ行ったり、食事を作るための食材を買いに行きました。
部屋の戻って彼女へ薬を飲ませて、彼女のリクエストでおかゆとスープを作りました。
彼女は、ベッドで食事をした後に安心して寝ていましたので、その間に台所の洗い物、かたずけ、洗濯を手伝いました。
その日は、彼女からのリクエストで彼女のマンションのリビングに泊まることにしました。
翌日、朝になると彼女はやや元気になったようですが、それでもまだ寝ていなければならないほどい具合が悪かったです。
その日は、私は大学へ行かなければならない日で、彼女に挨拶をしてマンションの部屋を出ようした時に、
「また夜来て欲しい。」とお願いされて合い鍵を渡されました。
これも便利屋の仕事の延長と考えていたので、了解して大学へ向かいました。
その日は、一日中そわそわしていました。
大学の講義が終わって、マンションへ直行すると彼女はベッドに寝ていました。
そこで、買い物や洗濯等のリクエストを聞いて、家事のお手伝いをしました。
食事を作って、彼女に食べてもらうことにしましたが、まだベッドの上で雑炊とスープを食べるのがやっとでした。
汗で汚れたパジャマやシーツ、下着などを全て替えて、それを洗濯しました。
夜になって、家事が終わりましたが、彼女が今夜も泊まって行って欲しいとお願いしてきたので、その日もリビングのソファーで寝ることにしました。
翌朝になると、彼女はかなり元気になっていたのですが、まだ出勤できるほどではないようでした。
それから1週間ほど、彼女の自宅マンションに泊まって、その間にバイト代をもらって自分の買い物をしていました。
便利屋のバイトは、彼女のことは内緒にして一週間ほど出勤しないと伝えました。
時々大学へ行ったりしていました。
一週間がたって、彼女もいよいよソープランドへ出勤ができるようになっていました。
彼女がとても元気になって、私が作った食事を一緒に食べて、食事の後は一緒にテレビを観たり、ビデオを見たりして、お酒を飲んだりして、だんだんと彼女、彼氏のような感じになって行きました。
それでもお金をもらって「家事代行」や「話し相手」「生活サポート」のアルバイトしているという感覚だったので、それ以上の関係には発展しませんでした。
一緒に暮らさない?
彼女が明日から、ソープランドへ出勤するという前夜に、彼女が私へ提案をしてくれました。
「山岡くんも、一人暮らしならここで一緒に暮らさない?」
私にとっては意外だったので戸惑ったのですが、当時、私は特定の彼女もいなかったし、便利屋の事務所に泊まることも増えていたので、どこに居てもいいかと思っていたので同意することにしまいsた。
都心のマンションに住むソープ嬢との暮らしは、当時の私にとって非常に衝撃的なものでした。
彼女との関わりを通じて、私は性に関する多くのこと、女性との関係を学びました。
それは単なる性的な経験だけでなく、女性に対する見方や人間関係全般における価値観にも影響を与えました。
その結果、私の考え方や行動は大きく変わっていきました。
この経験がどのように私に影響を与えたのかについて、これから詳しくお話していこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
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